室内とはいえ、砂場はあるわ、走るトラックはあるわ、クライミングボードはあるわ、三輪車のレーンはあるわ…。ボーリング場ほどの広さの中で、子どもたちが思い切り遊んでいる。これからの福島には必要な施設になるのだろうか。
29日は雪との予報なので、福島のホテルをキャンセルして相馬まで山を下る。
福島を通り抜けて相馬への山道に入る。今日は天気が良いからぬかるみだが、これが凍結したら
「自然がうれしい牛乳の里そうま」の看板に胸が詰まる。震災まではこの看板に偽りはなかったはずだ。途中の山の中にあった「りょうぜんこどものむら」は子どもたちの遊び場でありキャンプ場だったのだろう。閉鎖されていた。
食堂や自然食レストランも素敵な木造の建物だけが残っている。やっと1軒のそば屋で昼食。ちょうど一緒になった二人連れは飯舘村の方で、計画的避難のため1人は松川へ、1人は福島へ移転しているという。ニュースで聞く言葉がここでは生々しい。
相馬にも南相馬にもホテルが見つからず、結局、29日訪問予定の保育園に行って事情を話し、とうとう保育園の理事長である女性牧師の牧師館に泊めてもらうことになった。朴先生というその方は、とても自然体の方で保育にもメディアの問題にも関心をしめされた。